補講受けるのめんどくさすぎる。
配信された動画がフル尺で超めんどくさい内容だった。
のでブログ書きます(現実逃避)。
昨日の投稿は2か月前の話だったが今日は「今日の」話。
東京メトロ副都心線/有楽町線用17000系8連の2本目の甲種。これを撮ったそのあと。
急に「片町駅の跡見に行くか」。原因は先日見たこの動画。
もう散々掘りつくされたネタ。しかし自分も気になるわけで。
自転車で移動していたこともあり、せっかくなので行ってみることに。
以前にも片町駅付近をチャリンコで爆走したことがあったのですが全く気にしていなかった
線路があった部分は駐車場に。ちょっと入ってみた。
京橋を向いたものと、地下をJR東西線が通るその真上。
2枚目の手前、「これバラストちゃう?」と思うが真偽は不明。
現在も流れる寝屋川と、駅のすぐ北を流れていた鯰江川*1に挟まれていたという片町駅。
画像左手がその鯰江川だった模様。
京橋駅方面からこちらに来る際、環状線のホームをくぐって、工事中の旧ダイエーを横目に見ながら通ってきたのだが、その道路沿いにあるファミマであれほかの店もすべて「入り口は反対側」の表示。通用口感満載である。
実はさらに川があった名残が分かるところがあった。
片町駅跡に向かう前に寄った踏切。
この写真を撮った踏切の名前が、鯰江踏切。まさかと思えばそのまさかだった。
片町駅の話のはずが、すっかり埋め立てられた川の話になった。
鯰江川についてはこのページが分かりやすい。
確かに冒頭の甲種写真を撮った踏切のすぐ南を道路がアンダーパスしていた。それだったか。
それにしても本当に駅の跡形がない。まだ歩道や電柱で「ここが仮駅舎のあった場所か」がかすかに分かるぐらいだろうか。
史料として残っていたのは、廃止直前の簡易駅舎、そのもう一つ前の駅舎の少し南にあった簡単な看板だけだった。
片町駅廃止に取って代わり開業したJR東西線。
大阪城北詰駅の建設時の仮称が「片町駅」だった話は有名だと思う。
というより東西線の仮称駅名がすべてボツになっているのがJR西に問い詰めたいポイントである。
末端の出口と言えど、その上に位置する交差点名が「片町」なのはいささか感慨深い。
自分が生まれる前に廃止になった駅、路線を自転車で巡る。考えてみれば意外と楽しかった。
これに首を突っ込むと、網島駅だとか桜ノ宮線だとか淀川電車区だとか207系がどういう変遷をたどって今のような形態になったのか、JR東西線開業前の車両の入れ替えは上等貨物線だったのか、2002年春までの放出駅が2面3線だったとか。どんどん掘り下げたくなることが増えるので今回はこの辺で終わっておこうと。